あかねさす 日の暮れゆけば 術(すべ)を無(な)み 千(ち)たび嘆きて 恋ひつつぞ居(を)る (『万葉集』よみ人しらず)
空が茜色に染まりだんだんと日が暮れていくころ、愛おしいあなたのことが思い出される。私は何度も嘆き悲しみ、あなたを思うことしかできないのです。
太陽が沈み、一日の終わりが近づく夕暮れ時。明るく視界もはっきりとしている日中とは異なり、薄暗くなる夕方の時間帯というのは、気分も落ち着いてどこか神秘的な情操に駆られます。
一方で、触れると崩壊してしまいそうな、センチメンタルな感情に心が支配されてしまうような気もいたします。
古来より、日が沈み夜に近づく夕方の時間帯は「逢魔が刻」(おうまがどき)と言われていました。すなわち、闇が近づく夕暮れは現実世界と冥界が結び付く時間帯であり、妖怪や魔物が出没する時間であると昔の人々は考えていたそうです。
万葉集の昔も、夕暮れ時の薄暗い時間帯になると、今は亡き愛おしい方のことを思い出していたのでしょう。そして「もしかしたら亡きあの方が幽霊や妖怪として化けて出てきてくれるかもしれない」そういう思いが巡ったのかもしれません。
しかし「術を無み」、亡き人のため何もできず、ただ嘆くことしかできないと詠われています。
私が小学生のころ学校から帰るといつも、今は亡き祖父が居間で水戸黄門をみていました。電気をつけなくても夕日で居間が照らされる時間帯です。
少し薄暗くも黄昏色に染まった部屋でひぐらしの鳴き声を聞きながら、祖父と夕ご飯ができるのを待っていたのを覚えています。
ですから、沖縄・糸満の海岸で美しい夕日を見たとき「綺麗だなあ」という感動が湧くと同時に、在りし日の祖父を思い出し、思わず合掌をしてしまったのです。
福寿海無量では、皆様の大切なお方を沖縄の海に散骨をさせていただきます。それは一般的に想像してしまうような、海への遺骨の投棄ではありません。
現役の僧侶が、亡き方のご供養をしながら心を込めて散骨をさせていただきます。
「遺骨をどこに埋葬すればよいのだろう」「供養はしなくてもよいのだろうか」
我々は、亡き方を大切に思う皆様の心に寄り添います。福寿海無量とご縁を結んでいただいた皆様は「術は無み」ではないのです。
