先日、静岡の実家で暮らしていた愛犬の「ハナ」が旅立ったと、母から連絡がありました。
黒柴の女の子で、家族みんなから「ハナちゃん、ハナちゃん」と愛されていた子でした。
晩年は白内障を患い苦しそうな時期もありましたが、20年近い生涯を立派に全うしてくれました。
ハナがわが家にやってきたのは、私が小学生の頃です。
「犬を飼いたい!」ときょうだい全員で親に頼み込んだ日のことを、今でもよく覚えています。
初めて家に来たときの、あの小さく愛くるしい姿は、今も鮮明に記憶に焼き付いています。
成長するにつれ、ハナは少し勝ち気な性格になりました。
家族以外の人には吠えたり噛んだりすることもありましたが、
それは彼女なりに「家族を守ろう」とする精一杯の愛情表現だったのかもしれません。
私が東京の大学に進学してからは、帰省は年に一度ほどになりました。
久しぶりに帰ると、ハナは「知らない奴が来た!」とばかりに猛烈に吠えるのです。
ところが、私がゆっくり近づいていくと「あれ? 知っている匂いだ」と気づくのでしょう。
急に大人しくなり、頭を撫でてやると「吠えちゃってごめんね」と言うかのように、
先ほどまでの険しい表情がふわりと優しい笑顔に変わるのでした。
次に実家へ帰るとき、もうそこにハナはいません。
家族を守ろうとする、あの男勝りな甲高い鳴き声を聞くことも、
温かく柔らかな毛並みに触れることも叶わないのです。
「家族を亡くす」という現実は、自分の一部を失ったかのような喪失感とともに、
その悲しみと向き合い続けていくことなのだと実感しています。
大切な家族だからこそ、旅立った先でも安らかに過ごしてほしい。
仏さまの世界で、温かく見守られながら、穏やかな時間を過ごしてほしい――。
「冥福を祈る」とは、まさに「その方の冥土(死後の世界)での幸せを願う」ことに他なりません。
私はこれからも、ハナのいない世界を生きていかなければなりません。
けれど、ハナを想い、その幸せを願い、供養を続けていくことはできます。
「あとのことは、仏さまにお任せすることができる」
そう信じられるからこそ、深い悲しみの中にあっても、
私は安心してこれからの人生を歩んでいけるのだと感じています。


